当たり前を疑い、いやなことをやらない覚悟をすれば自分の軸が整う

今は少しずつ時代が変わってきているけれど、昔は、いろんなことが「やって当たり前」の時代でした。

体育の時間には自衛隊のごとく、時間通りにびしっと並んでるのが当たり前で、運動場に集まるのが遅れると頭を叩かれたし、

中学のクラブ活動も大学の就職活動もみんながみんなやってて当たり前でした。

私はその頃から反抗的な子どもだったので、小学生の頃から体育の時間はいつも見学していたし、

中学入学したての時に「クラブに入ってないのは学年で2人だけだから何かに入ったらどうか」と先生に呼び出されたし、

大学生の時はみんなが就職活動をしているのを横目で見ながらアルバイトに明け暮れていました。

今でも
自治会に入っていなかったり、マスクをしていなかったり、ワクチンも打っていません。

見る人から見たら
「人に迷惑をかけている」と取られるかも知れません。いや、そう思う人も多いですよね、きっと。

だけど自分の行いに責任を取れるのは自分だけなんです。

河野大臣がいくら責任を取る、と言ったって結局彼が人の時間や健康や自治体の信用を取り戻すことなんてできる訳がないんです。(余談ですが)

ワクチンを打つのもマスクをするのもまわりの人のためだからしょうがない、で嫌々やっていたとして、そのせいで自分の身体がおかしくなったとしても誰も責任を取ってはくれないから。

何かをする理由として、
だれかの言葉を信じたり
だれかの為だと思ったり
人の目を気にしたり
することはあるんだとして

たとえそうであったとしても
行動の決断をしたのは自分だから。
人のせいにしなくてもいい決断の仕方を
しないとかわいそうなのは
自分なんだと。

私の大好きなアカシックリーダーの
ゲリーボーネルさんは
葛藤はよくないと言います。

葛藤とは、
自分が嫌だと思うことを
しないといけないと思うこと。
(だと私は理解しています。)

だから、
例えば道にゴミが落ちていて
「拾うべきだ」と思ったとしても
心の声が
「いやだ、めんどくさい」と言ったとしたら
拾わない方がいいんですって。
人として正しいと思われていることだとしても、自分の中に葛藤が生まれるならしないという決断をして自分を優先しなさいと。

そもそも世の中で正しいと思われていることって、ほぼ洗脳なんだと最近の人たちはわかってきたから、嫌なことをしない人たちは増えているような気がします。
自分を大切にする覚悟ができている人たちはとても軽々と、この次元を生きているように見えます(^^)